君は月で、僕は星で

多趣味すぎて人格がいくつあるんだと言われるヲタクが自分自身に向き合ってみるブログ

今までのヲタク歴という名の私の人生を振り返ってみた



成人してからはじめて、自分について語るブログを書いてみる。

若気の至りで、過去にヤフーブログ、アメブロ、デコログ、あとジャニヲタがレポを上げるためにこぞって作っていたブログ(ど忘れした)を開設し、記事を書いていたことがあったが、成人してからはそんな機会もなかった。

しかしコロナ下で、ヲタクの生きる糧である現場が全くなくなってしまい、新たな沼に手を出しまくる日々が続いたため、このままではいけないと思い、今までの自分を振り返ってみることにした。



私は自他共に認める根っからのヲタクである。そのヲタクのジャンルは幅広く、ジャニーズに始まり、女性アイドル、アニメ、漫画、そして2年ほど前からは絶対に自分はハマることはないと思っていたお隣の国、韓国のKPOPアイドル(男性女性問わず)にはまった経歴がある。もちろんいつも全てのジャンルにハマっているわけじゃなくて、その時その時によってブームがあって、今1番自分が熱を上げているグループだったり、作品がある。まあ要するに、熱しやすいのだ。(冷めやすいかどうかは置いておく)

どうしてこんなにも色んなものに興味が持てるのかと、友人からは問われるが、自分でもわからないのだ。気になったらそれこそものの1週間でそのへんのミーハーなファンよりは知識をつけるくらい、寝る間も惜しんで調べ尽くすし、動画も見漁るし、速攻でファンクラブに入って、グッズを集めてしまう。たぶん一種の病気だと思う。むしろ、この熱量じゃないと、ハマる対象に対して失礼だと思ってしまい、はまっていない、ファンだというのもおこがましいと思ってしまうのだ。だからこそ好きになったものには全力投球したいし、愛を注ぎたい。そんな私のヲタク遍歴をだらだらと時系列に沿って書き進めていこうと思う。



まず初めに、私は1996年生まれで今年24歳になるのだが、2000年の4歳の時に生まれて初めて恋をした。それが嵐の二宮和也だ。私自身ほとんど記憶にはないのだが、母の話によるとMステで歌っているニノを指差して、「わたしの王子様、、、」などと言って完全に恋する瞳をしていたらしい。たぶんその時からわたしの人生はヲタクライフになると決まった。しかし、当時4歳だったわたしはアイドルの応援の仕方なんて知らず、ただテレビの中で歌って踊るキラキラ光るニノを見ることが幸せで、お母さんにこの人は自分の好きな人だ、とアピールするくらいしかできなかった。


そして時は流れて2005年。わたしの人生を変える大きな出来事が起こる。それが「花より男子シーズン1」のドラマ放送だ。この時わたしは9歳で、好きな人が所属するグループの松本潤が主役で出るんだ、というよりもただみんなが見ているからという理由だけで花男を見ていた。小学校でもプチブームで、F4の中だと誰が好き?というお決まりの質問が飛び交っていた。だけど周りの友人に、「道明寺がいるグループは嵐っていうんだよ!ジャニーズだよ!」と伝えても、ふーん、と言った様子で、さして興味も持ってもらえなかった。しかし我が家で事件が起きた。



母が松本潤、いや、道明寺司にどハマりしたのだ。



この親にしてこの子あり、というか、母もかなりのハマりやすい体質で、ハマったものはとことん突き詰めたいタイプ。

今まで全く娘の言動に興味を持っていなかったのに、松本潤という名の崖を転がり落ちた母は、光の速さで嵐のファンクラブに入会し、嵐のコンサートDVDを購入し、四六時中、それこそビデオなら擦り切れるほど再生し、嵐とともに過ごす日々が始まった。本当に言葉にしてみると、財力も応援の仕方もわかっていない小学生だったわたしが、一瞬で母という偉大な武器を手にしたことで、ヲタクとしての道を歩むようになったのだった。

アグレッシブな母のおかげでその翌年の2006年から嵐のコンサートツアーに東名阪と参加できるようになり、そこで出会った母の友人らのおかげで、ジャニヲタとはなんたるか、ヲタクとしてのイロハをたくさん教えてもらい、若干10歳にしてヲタクの英才教育を受け尽くした。母のおかげで、夜行バスに乗ることも、狭いビジネスホテルに泊まることも当たり前だと思えるようになったし、同じツアーの色んな会場に参戦することで、成長であったり変化を楽しむ楽しさを覚えることができた。本当に感謝しても仕切れない。親がヲタクじゃない普通の小学生だったらできなかった経験を死ぬほどさせてもらえた。余談だがわたしははじめて参戦した嵐のライブで、リーダーの大野智さんから熱烈なファンサービスを頂けたことで、完全に大野さんしか見えなくなり、約5年間思い続けていた二宮さんに別れを告げて、その後ずっと大野担として生き続けた…(知らんがな)



そして時は流れて私も中2になった。その頃には嵐も国民的アイドル、いやアイドル界のトップに登り詰めていて、幼いながらにも寂しいという気持ちを抱えていた。ライブには母のおかげで参加できていたが、回を追うごとに取りにくくなっていくチケットに、若干申し訳なさを感じ、私のこの熱量で、今のこんなスターになった嵐のライブに参加してもいいのだろうか、と悩むようになった。そんなとき、私は出会ってしまった。



ポニーテールとシュシュ」に。



衝撃だった。本当に本当に衝撃だった。こんなにもキラキラ輝く女の子たちが、この世に存在するのか、と。


私がおそらくポニーテールとシュシュをはじめて見たのは、Mステの放送だったと思う。あの水色と白の制服風の衣装で、全員がポニーテールで歌うあの姿は、きっと一生忘れられない。心を奪われた。そこからは本当に一瞬だった、学校や部活以外の時間は永遠にYoutubeを見漁った。AKB48はかなりYouTubeのコンテンツが充実していて(公式・非公式問わず)、まずは1stシングルからポニシュまでのMVを全て見て、各公演を全て見て、Wikipediaやエケペディア(AKB系列のめちゃくちゃ詳しいwikiみたいなもの)を見漁り、本当に朝から晩までAKB48に染まっていった。ちなみにはじめての推しはあっちゃんこと前田敦子だった。しかし本当にAKB48は優劣つけがたいくらい全員好きで、ほぼ全員(あの頃は今に比べるとメンバー数も多すぎなかった)の写真を保存したりしていた。それからというものの、AKBが好きだという中学校の友達を誘って握手会に行ったり、コンサートに参加したり、わたしの第二のヲタク人生が始まった。ちなみに先ほども述べたとおり、AKB48はみんな好きだったこともあり、グループ自体が大好きで、推しメンはコロコロ変わっていった。



ちなみに推し遍歴は、前田敦子柏木由紀(握手会で釣られた)→向田茉夏(SKE48のメンバー、完全にビジュアルでやられた、彼女を応援している期間が1番長かった)



そしてAKB48アンダーガールズという選抜メンバーにはなれなかったメンバーに選ばれていた、SKE48向田茉夏さんを見つけて、私は更にどっぷりと沼にはまっていった。しかし向田茉夏さんは2014年3月に学業に専念するという理由でSKE48を卒業。卒業公演にも参加し、私自身も完全に燃え尽きて、48グループは応援はするものの、今ほどの熱量では追っかけない茶の間ヲタクになることを決意した。


だけど48系を好きになると、ほかのアイドルグループにも目が行くようになる。ただただ女性アイドルDDになる、という現象に名前をつけたい。たぶん地下も地上も問わず色んなグループのMVやライブ映像を見たと思う。その中でも48系と同じくらい注目されていたのがももクロだった。ももクロに私は魅了され、はまっていったものの、私が1番好きだと思ったメンバー、早見あかりさんはなんとグループ脱退を発表したところだった。そんなこともあり私はももクロはゆるく見るだけにとどめたが、その流れで見た同じグループの妹分の私立恵比寿中学にどハマりした。(またか)


そんなに長い期間ハマっていたわけじゃないが、2012年終わりから2013年の終わりにかけて約1年間ライブやリリイベに参戦していた。しかし最後に参戦したライブで3人のメンバーが卒業してしまい、応援していた形が完全に変わってしまうことの悲しさから、エビ中と距離を取るようになった。


あれ、今思うと私、向田茉夏さん応援してた時と完全に被ってるやん。なんなら、茉夏のほうがあとに卒業している、、、時間感覚が完全に狂っています。しかし今思うとその時の行動力凄まじい…。高校生で部活もしており、合間を縫ってのバイトだったため、そんなにお金もなかったが、なけなしのお金をほとんどヲタ活に費やしていた。


しかし私はどこまでいっても腐れヲタク。冷めそうな予感がする前後で新しい沼を探し当てるのが得意だった。そんな私が次に見つけた沼が、「バンドじゃないもん!」という半地下(?)アイドルグループだ。バンドじゃないもん!とは楽器を演奏したりしなかったりするアイドルグループだ。みんなとにかく個性が強い、可愛い、ライブがかなり自由、ヲタクもかなり自由。サブカル系の女の子が多かった気がする。私はサディスティックブルー担当の七星ぐみちゃんを応援していた。とにかく細くて白くて金髪が似合う、女の子の憧れを詰め込んだみたいな女の子だった。本当に優しくて久しぶりに会いにいっても名前を覚えてくれていた本当に歴代でも一番ヲタクに優しくしてくれたアイドルだった。


それと並行して大学の受験期で荒みかけていた時期に出会ったのがKis-My-Ft2である。私がジャニヲタに戻るきっかけとなったグループで、キスマイbusaikuという彼らの冠番組横尾渉さんに運命の出会いを果たす。真面目でお堅そうな見た目とは裏腹に、ポンコツで噛みまくりなギャップと八重歯にやられ一気に沼落ち。異常なほどのリア恋だったと思い返してみると実感する。自分より10歳上のシュッとした男性が、母性をくすぐってくるのだ、そりゃあハマるだろうが(しらん)彼らのライブがあるのなら、東京だろうと大阪だろうと福岡だろうと参加した。彼らのおかげで、母以外の友人と、遠征することの楽しさを知った。しかしリア恋というのはきっかけがあると一瞬で覚めてしまうもので、私はあることがきっかけで恋の魔法が溶けてしまった。たぶん2017年くらいだった。それからは友達に誘われて、なんやかんや一年に一回ライブに参戦したりする、ゆる〜いファンになった。しかし彼を好きだった期間は無駄ではなかったと胸を張って言える。キスマイのおかげで今では別のグループを応援してるのにもかかわらず、仲良くしてくれるヲタクにたくさん出会えたし、もはやリアルの友人より会ってるのではないかというヲタ友もできた。ありがとうキスマイ。そういえば去年、念願の紅白に出場が決まった時は、もう熱を入れて応援しているわけではなかったけれどかなり嬉しかった。本放送でも、ちょっと涙が出そうになった。


その後、2017〜2018年は特にこれといってはまるものがなく、ゆるくジャニーズや女性アイドルを茶の間で応援する日々が続いた。しかし私は2019年1月、それはそれは今までにないスピードで崖から転がり落ちた。BTS(防弾少年団)に出会ったのだ。



今までも存在は知っていた。周りの友人がBTSに推し変していたり、友人が好きだといってMVを見せられたり。しかし韓国あるあるで全員が同じ顔に見えて、判別ができず、全くはまることはなかった。しかし、ハマってしまった。なぜならBTSがリリースする作品を通じて、壮大な物語を描いていたからだ。"花様年華"という人生における最も美しい時間をテーマにしたストーリーを何年間もかけて、MVを通じて世の中に伝え続けているそのスケールのデカさに感動し、どんどん知りたくなり、考察ブログを読み漁って、何度もMVを見るうちに、いつのまにかあんなに見分けのつかなかったメンバーの顔も、性格を含めて理解していて、気付いた時には沼の奥深くにいた。ARMY(BTSのファンのこと)の完成である。


きっかけはMVのストーリー性だったが、今までハマっていた日本のアイドルとの違いに刺激されまくり、彼らのパフォーマンス力の高さ、メンバーの関係性、それぞれの人柄、ステージにかける思いの深さなど知れば知るほど深みにはまり、気付いたら日本の公式ファンクラブとグローバルファンクラブ両方に入会しいた。現在も現役で応援させていただいている。ちなみに私の推しはキムテヒョン、世界で一番イケメンな男に選ばれた、とてつもなく麗しいお顔をお持ちの方である。彼について語りたいことは死ぬほどあるが、かなり長くなってしまうと思うので別の機会に。



そして私は今、もう一つ応援しているグループがある、それがJO1だ。

彼らとの出会いは、produce101japan というオーディション番組である。101人のアイドル候補生(練習生)の中から国民投票で11人が選ばれてアイドルグループとしてデビューするという韓国発祥のオーディション番組で、Wanna Oneや、IZ*ONEを輩出した番組である。その番組で応援していた練習生である大平祥生くんが11人の中に入ってJO1としてデビューすることができた。デビュー前から、いや候補生の時から応援して、自分たちの投票によって応援している子がデビューできるかどうかが決まるといった経験は初めてで、かなり興奮して、熱中した。こんなん、ヲタクがのめり込むに決まってるコンテンツやん。何で私は韓国での番組を見てなかったんだ?と何度も疑うほどにはのめり込んでいた。時には推しと共に落ち込み泣いて、推しが活躍すると喜び泣いた。そんな日々を一緒に過ごした(気になっている)から、応援するに決まっている。いやむしろ人生を捧げさせてください、といった気持ちで、たぶん今一番ハマっている、人生を賭けて応援しているグループだと言えるだろう。



つらつらと書いてみたが、ここに書いていたものと並行してアニメにもハマっていたのだが書き方がわからなくて書けなかったので、ここで私の死ぬほど好きでハマった2つのアニメだけ書いておこうと思う。



・うたのプリンスさま♪

黒子のバスケ



語りたいことは死ぬほどあるが、長くなりすぎるのでまたの機会に。

もしここに羅列している同じ沼にハマったことがある、ハマっている人がいるならばぜひお話ししましょう、ヲタクと話すの大好き。



結論:ヲタクは最高に楽しい